ピンク・フロイドのリチャード・ライトが死去
Pink Floydのオリジナルメンバーにしてキーボーディストのリチャード・ライト(Richard Wright、リック・ライト)が、9月15日(月)癌のため死去されたそうです。
VARIETY記事「ピンク・フロイド創設メンバー、リチャード・ライト死去」
「虚空のスキャット」も「アス・アンド・ゼム」も大好きです。
Pink Floydというと、フロント、サイド、リアの5カ所にスピーカーを配置したサラウンドライブシステムが有名ですが、70年代の頃、このシステムを支えていたのはまさにリチャード・ライト。
オルガン弾きながらジョイスティックをグリングリン回している姿は楽しそうで、デビット・ギルモアよりも目立っていたものです。
2005年のLive 8での一回限りの再結成以来、4人での再結成を望む声が全世界からわき起こっていましたが、これで叶わぬ夢となってしまいました。
ついこの間デビット・ギルモアのツアーをやっていたので、そのときはすでに病に冒されていたんですね・・・
今でも年齢を感じさせないプレイだったのですが本当に残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
追記:BARKS記事「リック・ライト、65歳で死去」
さらに追記
BARKS記事「リック・ライト、最後のパフォーマンス」という記事でデビット・ギルモアの追悼メッセージが翻訳されていました。
だれもリチャード・ライトの代わりにはならない。彼は私の音楽のパートナーであり私の良き友人だった。
彼は優しく、謙虚、人前にあまり出たがらなかったが、彼の魂がこもった声とパフォーマンスはピンク・フロイドのサウンドにおいて極めて重要で魔法のような存在だった。
彼と同じような人は誰もいなかった。私と彼の音楽のテレパシーの融合は1971年の「Echoes」で最初に開花した。ピンク・フロイドの『狂気』に収録されている「Us and Them」「The Great Gig In The Sky」はリチャードが書いたものだし、彼のクワイエット・タッチなしには「Wish You Were Here」は成り立たなかった。
途中、いろいろな理由で彼はしばらく道を失っていた時期があったが、90年代半ばの『対/The Division Bell』で復活し、彼のバイタリティー、スパーク、ユーモアは戻り、2006年の私のツアーにおいてオーディエンスのリアクション、総立ちの喝采が彼を待っていた。
私の気持ちを言葉で表現するのは並大抵のことではない。でも、私は彼を愛していた。彼がいなくなって途方もなく寂しく思う。
──デヴィッド・ギルモア
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